本日2投稿めです ;
以前の記事 反転の例(3日記事の複数投稿2/2回) の中盤で申していますように、
精神という言葉は、生き方や 心のあり方がとても優れている高尚なこと、尊さをもった状態を示しますので、
傷病系のことにこれを日本で用いるのはもちろん、御法度です。
もう、長らく、~科、~科医 などと目に耳にされているので、ついぞ元から当然あったかのように思われていそうですが、以前の記事でも申したとおり、日本でこのような野蛮な言葉の取り扱いは、認めません。
従来の日本の病院は、総合病院で科を分けられることがあっても、一般の個人病院では、得意分野を~科で名乗ってよい という取り扱いです。
医師の資格の大前提は人間性、道徳性に優れていること とされています(いました)。
とてもじゃないけど、守られていないケースに、私に関しては遭遇することがありましたが、現在のように特殊なことが起こされる一例かもしれません。
世界どこでも医者を目指すということは、べつに難しさからだけではなく、人間性として評価されたのだと思います。
どの医者も、人の切り離せない心身を診れることが出発です。
心療内科という言葉が実際に認められたのかはわかりません。言葉としては大丈夫に思えます。
でも、誰をも見捨てない 従来の医師のあり方からすれば、設ける必要はありません。
病院にお金が絡んできたり、組織的に分業しようとすれば、かえって遠回りや無駄やフォロー漏れが生じ忙しさが無駄に生じ、このような科が出てきたのでしょうから、どちらかというとよいことには思えません。
お金のこだわりや争いを持ちこみたがるように仕向けるのも、人の心に苦痛を負わすまでにする、同じ悪のやること好むことです。
理解や資格不十分の医者しか残らないようになっていそう。
医療関係の低質化(けっきょく医師という職業自体が危うくなる)は、やはり、物の改ざんごとから誘導されてきているはずで、本来、医学の習得も信頼ある師弟関係をもってなされるべきだったところが、あまり行き届いていないのでしょう。
医者が聞く耳を持たない、つまり育たない状況は世紀末…あとは…
悪のマニュアルに集約されるばかり‥
根本的に、教育テロの影響は、デカいということです。
東洋では体全体のバランスから診察するもの、日本の医療はもともと西洋医学採用ではあっても、偏らせてはいなかったのです。民俗をいっしょくたにするような、雑な考えかたではありません。
まだまだ身体が通常ではないけれど😂
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