
昨日、ふとした気まぐれで、岩波文庫「山頭火俳句集」(夏石番矢編2018年刊)をぱらぱらめくっていた。種田山頭火のファンでこの本を知らない人はいないだろう。俳句索引をふくめ535ページもある、持ち重りのする分厚い本。
俳句ばかりでなく、「日記」「随筆」が、別に収めてある。「草木塔」をはじめとする俳句は何度となく読んできたけど、「日記」や「随筆」は、まともに読んだことがなかった。
■大正15年(1926)
分け入っても分け入っても青い山
鴉啼いてわたしも一人
■昭和2・3年
この旅、果てもない旅のつくつくぼうし
へうへうとして水を味ふ
まっすぐな道でさみしい
しぐるるや死なないでゐる
俳人としての突然の離陸がきた。
山頭火が山頭火になった時代と、その鮮やかさ(゚Д゚;)
「鴉啼いてわたしも一人」の句には、「放哉居士の作に和して」の詞書がある。
自由律の俳人として、尾崎放哉ははじめから意識していた。
ほかに伊那谷の井月に親近感を抱いていたのは、皆様のご存じの通り。
また見ることもない山がとおざかる
どうしようもないわたしが歩いている
捨てきれない荷物のおもさまえうしろ
これらはよく知られた秀句。
この「山頭火俳句集」には1000句が収録されているという。
これまでは春陽堂の山頭火文庫1-2で、寝転がってぱらり、ぱらりとくり返し読んでいた。今回は高浜虚子を長らく読んでいて、あくびが出てしかたないので、久々に山頭火に反ってきた。
放哉も山頭火も、要するに俳人として世に認識されている。俳句がおもしろいからこそ、世渡りができたのである。
離陸していく山頭火。眠っていた才能に、このとき目覚めた。
わたしが選んだほとんどの句は、句集「草木塔」に収録されている。
焼き捨てゝ日記の灰これだけか
を書いたのは昭和5年(1930)のこと。
酔うてこほろぎと寝ていたよ
憂鬱を湯にとかさう
うしろ姿のしぐれてゆくか
これらすべて昭和5年作。すでに絶頂期といってもいいのではないか。
昭和7年にはこれも代表作とみられる傑作「おとはしぐれか」が生まれている。
逝去したのは昭和15年(1940)なので、山頭火は放哉ほどではないが、10月11日に足早にこの世から去っていったのだ。
うしろ姿のしぐれてゆくか
おとはしぐれか
たったこれだけのことばで、世界と対峙してきたのは、驚くに値する。あざといその生き方は知り合いが死んでいくにつれ、しだいに薄れていった。
春陽堂からは何度となく、くり返し山頭火の句集が出ている。わたしも10冊以上手許にある。